憲法9条を世界遺産に
ハッとして、手に取るには十分なほど印象的なタイトルです。
じゃあ実際、現実問題としてどうやってこの憲法を守っていくのか、この現実にどう適応させていけばいいのか
そういった疑問に具体的な答えは与えてくれません。
著者自身も、憲法が現実になじまないことを認めている。
しかし、そういう矛盾を抱えて、他国からの批判や嘲笑を受けてもなお、平和憲法を守っていく価値があることを教えてくれます。
人間は間違いを犯す。
そんな愚かな人間だからこそ、努力して守っていかなければならないものがある。
放っておいたらいつか失ってしまうものだから。バーミヤンの遺跡のように。
憲法9条を「修道院」に例えている話は、とても分かりやすいと思います。(以下要約)
修道院は、普通の人間では耐えられないような厳しい条件の中で、人間の理想を考えている。労働もしないで、ただただ祈りと懺悔の繰り返し。そんなものはムダのような気もする。しかし人間にとって重要なのは、たとえ無茶な場所であっても、地上にそういう場所があるということをいつも人々に知らせているというところにある。修道院のような狭く限られた場所であっても、人間の現実を考えてとても無理だと思うような理想や夢を実現させてみせようという人たちがいるということ、それこそがよりどころである。
我々が誤った方向に向かっていくとき、最後の砦となりうるのが憲法9条だ、と。
この理想を何とか守っていくために必要なことは何か。
それは矛盾なのかもしれないと、読んでいて思いました。
確固たる理想を守るためには現実との二人三脚が不可欠であって
でもそこにはいつも理想と現実の矛盾が生じる。
9条をなくしてしまえば、矛盾はなくなってすっきりするかもしれないけど
迷いがなくなれば問いかけがなくなり、我々は考えることをしなくなる。
理想ばかり追い求めるドンキホーテの傍らに、いつも現実的な判断をするサンチョパンサがいたことを忘れてはいけない、というユニークな指摘には納得です。
同時に、軍隊を持つ覚悟より平和憲法を守る覚悟の方がはるかに大きいということを、もっと自覚すべきなのかもしれない。
ミサイル打ち込まれて、例え国民が死んでも、仕返しをしない覚悟。
とはいえ、実際自分の身内がテロに巻き込まれて殺されたら
憎しみのあまり、私も相手に同じことをしないとは言い切れない。
でも国家の問題を考えるとき、そういう個人のレベルとは違う論理が働かなければならないと著者は言っている。
確かにそういうものなんだろうし、みんなが復讐始めちゃったら国家は成り立たないけど、私自身は、問題を常に自分の身近なものに置き換えないとリアリティを感じることができない。
それってものすごく狭い価値観だし、一般大衆の判断が時に危険なこともあるのはよくわかります。
でも個人の集合体である国家が、個人のレベルから離れた異なる論理で、果たして正しい判断をしていくことができるのか。結局国家の論理を決めるのも個人の集まりで、特に一部のエリートの集まりで決められた「国家の論理」が正しく存在することなんてできるんだろうか? そんな問いも浮かんできます。
それから、もっとも印象的だった太田さんの言葉。
「誤解にこそ、人の個性がある」
コミュニケーションのとても深いところを突いていると思います。
太田さんのコメントは「爆笑問題のススメ」や「私が総理大臣になったら…」などの番組で注目していますが
一見極端な(革新的な?)人間のように見えて、実は物事の本質を鋭く捉える
ある種のバランスの良さ?のようなものも感じます。
冒頭にも書いたとおり、この本から現実的な説得力を得ることは難しいと思いますが
「憲法9条とは何なのか」を考えるヒントは、十分に与えてくれます。
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コメント
>軍隊を持つ覚悟より平和憲法を守る覚悟の方がはるかに大きい
本当ですね。
先日の河北に、9・11で亡くなった消防士さんの奥さんの話が載ってましたね。
「主人の死を戦争の理由にしないで」って書いてありました。
被害者の家族にはそういう考えの方が多いようですね。
復讐は復讐しか生まない。。。
でも、北朝鮮がミサイルを発射したとき、日本は迎撃できるのか?!と思ったのも事実(^^;)
確かに、時代に合ってる合ってない等ではなく、最後の砦は残しておかなくちゃならないと思います。
まとまり無くてすいませんA^^;)
投稿: ぺんぎん | 2006年9月15日 (金) 23時52分
ぺんぎんさん こんばんは♪
河北の記事(読んでなかったんですが)について、
やっぱり国家と個人の問題は一緒にできないということでしょうね。
被害者の遺族は、個人としてはテロリストを憎む気持ちがあっても
国家がその復讐のために、また新たな殺戮を行うのは間違いですよね。。
憲法9条の問題は、ほんと難しいです。
国民全員が納得するような結論なんてないのかも。
でも、考えることをやめてはいけないですね。
投稿: chai-chan | 2006年9月16日 (土) 19時02分
トラックバック通知がありましたので、おうかがいしてみました。私は9条が、たどりつけない「理想」だとは考えていないのですが、いまのニッポンの主力政治勢力にとっては国家の「矛盾」であることに他ならないのでしょうね。ご紹介になられた、あなたにとってのこの本のチェックポイント、私も共感できます。私は、太田さんが専制君主とクラウンについて言及したくだりも、すきです。9条いじめがたいへんですが、なにもむき出しの「たたかう」とか「闘争」とかでなくても、静かな、というか、揺るがない「覚悟」が、みんなで共有できると状況は逆転するのかな、と思います。
お邪魔いたしました。お元気で。(^o^)丿
投稿: ふぢけん@芸州日記 | 2006年9月17日 (日) 15時56分
ふぢけん@芸州日記さん、
ご訪問&コメントありがとうございます。
>静かな、揺るがない「覚悟」をみんなで共有する
9条を保持するためには不可欠な要素ですね。
理想だけをやみくもに追い求めるのではなく、現実との折り合いの中で、矛盾を抱えながら理想を守っていくしか方法はないのかもしれません。
それから、ふぢけんさんのおっしゃった「専制君主とクラウンについてのくだり」、何だったかなと思い返してまた本を手にとってみたのですが、どのあたりの言及だったでしょうか?見つからなかったもので(^^;
またいつでも遊びに来てください。コメント&TB大歓迎です。
投稿: chai-chan | 2006年9月17日 (日) 21時08分
ご質問にお答えしていませんでしたね。古典落語など話芸と武士道の共通性について展開してきたくだりの中で、「権力と道化」という言葉で出てまいります。p.109ですよ(^_^)。いま、「北朝鮮の核実験」という理不尽な事件を前に、この国にも不安が(意図的なモノも含めて)ひろがっていますね。「笑いのめす」ことでは解決しがたい局面なのかもしれませんが、危機の連鎖を招かぬように、できることはしていかないと、と思っているところです。
お元気で。
投稿: ふぢけん@芸州日記 | 2006年10月11日 (水) 23時47分
ふぢけん@芸州日記さん
質問の回答、ありがとうございました。
権力は道化や笑いを傍においておかないと
時にうまく機能しなくなる、というくだりでしたね。
太田さんの芸術至上主義とも言えるような「お笑い」に対する価値観は
なかなか深みがあって読んでいて面白かったです。
道化は「権力」を外側からちょっと醒めた目で茶化すわけですが
「笑い」が今の厳しい現状を解決するものではないとしても
そこに何かしらの力が存在するのかもしれない、という気にはさせられました。
今後ともコメント等お待ちしております。
投稿: chai-chan | 2006年10月13日 (金) 00時02分
私も「憲法9条を世界遺産に」に賛成です。
アウシュビッツ、広島と同様こういうことを暴力的に他民族に押し付けてはいけないという負の世界遺産に登録するのに賛成です。
投稿: 立花赤兄 | 2006年10月20日 (金) 10時39分
立花赤兄さん
はじめまして。コメントありがとうございます。
「憲法9条を世界遺産に」、いいタイトルですよね。
ライス国務長官が来日中「アメリカは日本の核の傘になる」と発言したそうですが
核には核で対抗するしかないという現状はどうしようもないのでしょうか。
戦うことは生物の本能だと言う人もいますが
人間にはそれを越える力があると信じたいですね。
私も、世界遺産登録に賛成します。
投稿: chai-chan | 2006年10月20日 (金) 23時58分